なんということでしょう。
遡り日記も遅れをとること3週間・・・。
そんな前のこと、とも思うけど、
これは書きたい。書いておきたい。
長くなりますがお付き合いください。
8月18日(日)は、いつもの森、コカリナのお店前デッキにて
「Dear friends企画番外編 森においでよ」と題して
30年来とも言える友、ガンタさんファミリーとの
ライブでした。

私たちはいつもこの場所では
ときにセットリストなどまったく作らず
その場で次の曲を決めるなど、良くも悪くも
ひじょーにラフにやらせてもらっているのだけれど、
ガンタさんからは事前にこの日やる予定の曲のリストと
譜面、音源、がしっかりと送られてきており、
(頭が下がります。m(__)m)
その中にビートルズの名曲、「In My Life」が入っていました。
この曲は以前参加していたユニット、
オーパスタのメンバーだったジンちゃんが
ソロでよく弾き語っていて、好きな曲ではありましたが
この日、ならともが歌ってくれる、ということに
何か特別なものを感じました。

いやしかし特別というのはあくまで私の個人的な感情の話で・・。
この曲を聴くと、
母と私のあるシーンを思い出してしまうのです。
母は最終的に、
身体のあちこちに癌が転移して亡くなりましたが、
その発端は、
メラノーマ(悪性黒色種)という
極めて悪性の皮膚がんでした。
その癌ができた場所は頭皮で髪に隠れ、しかも、
自分では鏡を使ってもなかなか見え難い場所だったために
皮膚がんとわかったときにはすでにリンパに転移していました。
急ぎ手術をするため、髪の毛を全部剃ることになり、
がんセンターの美容室に付き添いました。
母の髪が剃られていくときに、
美容室のラジオから流れてきたのがこの曲、
「In My Life」でした。
自慢の白髪が静かに床に落ちていた光景を
はっきりと思い出します。
**********************
インマイライフ♪(和訳)
私が覚えている場所がある
人生の中でいくつかの場所は変わってしまったし
永遠に良くならない場所もある
いくつかは無くなってしまったし、まだ残っている場所もある
全ての場所には思い出があり
恋人や友人達と一緒に思い出す事が出来る
死んでしまった人もいるし、生きている人もいる
人生の中で、私はそれら全てを愛している
しかし全ての友人や恋人達の中に
あなたと比べられる人はいない
全ての思い出は意味を失ってしまう
あなたとのこれからの愛について考えると
もちろん愛情を失う事がないのはわかっている
思い出の出来事や人々について
私は時々懐かしく思い出すだろう
でも人生の中で、私はあなたをもっと愛する
もちろん愛情を失う事がないのはわかっている
思い出の出来事や人々について
私は時々懐かしく思い出すだろう
でも人生の中で、私はあなたをもっと愛する
******************
あのときは、泣いてはいけない、と我慢したけど、
母が亡くなったあと、
この曲を聴くたびに、どうしても涙が止まらなくなってしまう。
若い頃、母のようになりたくない、と
母を遠ざけていたことや
連絡もせず、心配かけていた頃のこと・・・、
母がこの病気になって、初めて話し合えたお互いの気持ち、
闘病中の苦悩、そして小さな喜び、
死を覚悟したときの母の涙と凛々しさ・・。
言い尽せない全ての思いがよみがえってくるようで、
胸が篤くなってしまう。
そしてこのことに加えて・・・
母はならともの大ファンでした。
娘の小学校にじょうろくらぶが演奏に来てくれたとき、
母は何よりならともの歌を聴くのを楽しみにしてた・・・。
どこが好き?と聞くと、
ならともの、低くて暖かい声が大好きだと言ってた。
母はきっと、ならともがこの曲を歌ってくれるのを
空の上から楽しみにしていたのだと
勝手にそう思いつつ・・・
そして勝手に腑に落ちています。
「あんた、この曲吹くのなら、もう泣かないようにしなさいよ」
と、言ってるようにも思える。

(写真は2003年、
赤ちゃんだった寧音(ガンタさんの愛娘)を抱く私の母。)
ならとも、ありがとね。
まったく情けないことに、あの日は
ならともの歌を聴く前から泣いてしまったけど、
私も近いうちに、この曲を吹きたいと思う。
今年の12月の命日で、丸6年・・・
早いもので今年は7回忌の法要です。
というわけで、遡りレポートはまだ続く・・。
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