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CD 十里木の夏 by FOMAL HAUT

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「おなまえペン」で布に落書き

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    「布用おなまえペン」で無地のポーチやサコッシュに描いています。
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思い出すこと

2022年2月15日 (火)

今日は涅槃会 父の命日

今日2月15日は涅槃会。(ねはんえ)
同じタイトルの記事を2年前にも書きましたが、
2月15日は涅槃会であり、父の命日でありまして。

昨日の昼ごろ、「えっ今日、バレンタインじゃんっ」と、気が付き、
去年のクリスマスイブもそうだったけど、
当日になって、えっ、今日〇〇の日じゃん となる、というのは
年寄りのアルアルなのだろうかと思う今日この頃。

クリスマスもバレンタインもどちらももう
関わりがないと言えばないのだけれども。
知らない間に時が過ぎる、というのが
どうも納得いかない気もするのよねぇ。( 一一)

そうそのバレンタインの翌日が、父の命日。
亡くなってから4年が経ちました。早いもんです。

あぁ4年前のあの日だなぁと思うと。
くすっと笑えます。命日だというのにね。

父が亡くなったのは午前2時頃でした。
その10日ほど前に入院したときには、
もう家には戻れないと分かっていました。

本人にもしっかりとその自覚があって、
会社のこと、家のこと、全て話し合い、私に託して、
ベッドから起き上がれない状態なのに最後まで仕事をして、
自分で決めて、私が民間の救急車を手配して、入院しました。

亡くなったその日は、病状が小康状態だったため、
休みをとって病院にきていた弟夫婦がいったん帰り、
孫である私の娘も東京に戻り、
それまでほとんど寝ていなかった私も少し仮眠をとります、と、
看護婦さんに告げて仮眠室へ。
横になって引き込まれるように眠りについて、
すぐに起こされました。

それまで家族全員に見守られていたときには
安定していたはずなのに、
私が病室に戻ったときには、身体は温かかったけれど、
すでに息はありませんでした。

看護婦さんもまだ大丈夫だと言っていたから仮眠したのに。
まるでフェイントかけられたような。
その10日前に入院したときから、覚悟はできていたけれど。
ひとりで逝くなんて。そんな・・・と思いましたが、
ああそうか。
それまで見守っていた家族がふっと病室から居なくなったとたん、
父はきっと、「よし、今のうちに」などと思ったに違いありません。
子供たちに看取られるなんて気恥かしいのです。
そういう人です。(と、家族全員、のちに納得。)

父を霊安室におさめて、葬儀社に連絡。朝方、車を置きに一度家に戻って、
父を帰宅させるための段取りをしてから、再度電車で病院に向かい、
葬儀社の車に乗って、父と一緒に帰路へ。

葬儀社の車が、家の近くまで来た時。
一旦停止の標識のあるT字路を、すーっと、停止せずに曲がりかけ、
えっ止まらないの?だいじょぶ? と思った瞬間、
「運転手さん、一旦停止見えなかった?」お巡りさんに止められました。
ええ~っ??
「あ、あ、すみません。見落としました。」
ええ~っ?? 霊柩車一旦停止無視で捕まる??

お巡りさんが後部座席を覗きこみ、私と目が合い。
どうする?フォローしたほうがいいのか?と迷っていると、
さらにその奥を覗きこみ、一瞬あれ?という顔に。

すると運転手さん、
「あ、あの、ご遺体をぉ、お運びしておりまして。」
声が裏返ってる。

「えっ、そう・・・ですか。いやそういうことなら・・・あ、うーん、
そういうときでも一旦停止で止まらないのは危ないですからね。
今後気をつけてくださいね。」
「すみません。申し訳ありません。」

御遺体をお運びしていると、
一旦停止無視は見逃してもらえるらしい。(^_^;)

葬儀社の車はそのまま何事もなかったように家に到着。
父を和室に寝かせてすぐ、葬儀社と打ち合わせが始まり、
「それでは死亡届を見せてください」

と、さきほど病院で受け取った死亡届を渡すと、
「あれ?日付が違ってます。これだと一年前になってしまう」

え~っ!?うそっ?? ほんとだ。

すぐに病院に電話。看護婦長さんが「すみませんっ!すぐに書きなおして伺います」
と、病院のハイヤーを飛ばして来ることになりました。

あれ?
なんか立て続けに変なこと起こってる??(笑)

つづく。

2009年10月23日 (金)

ふと気がつけば・・・

私にとって、毎年「秋」というのは何かといろいろある季節で・・・
そうだそういえば・・・と、すっかり忘れてたこと。

唐突ですが私、離婚してちょうど丸10年経ちました。
この秋がanniversary。(とりあえずメデタシ!)

この10年、なんだかあっという間に過ぎてしまった気がするし
夢中で目の前のことを追いかける日々だったような気もするし、
だけどとても有意義で、
間違いなく濃~い時間が連なった10年でした。

3歳だった娘はもうすぐ私の背に届きます。
もう手をつないではくれません。

あの秋、すすき野原に吹いていた風は
「nokaze」という曲となって今も私を励ましてくれるけれど、
何より、出会ったたくさんの人たちに
支えられてきたからこそ今があるわけで。
改めて皆様への感謝とともに、膝を正しつつしみじみと
あれやこれやを思い出しながら、
ひとりお茶をすする秋の午後・・・。

10年経つということは、それだけ年をとったということでもあるので、
若作りしていた3歳児のママだった私も今や・・・
老眼がひどくなった~(T-T) とか、
げっ、まゆげの中に白髪がぁ、( ̄∇ ̄;とか、
筋肉痛が出るのは3日後~(-"- )とか、
階段を駆け上れない・・・(-。 -; )とか、
(まだまだ書ききれないほどあるんだけど)

ま、あーだこーだボヤいたりしながら。
今後も。

新たな10年を築くべく、頑張ろうと思っております。
なんだか初心(に戻る)表明のような。(^^ゞ

2008年11月30日 (日)

ムンバイの事件

旅の思い出~インド編その1を書いたあと、「その2」がなかなか書けないままずい分時間が経ってしまいましたが、インドのムンバイ(旧ボンベイ)でイスラム過激派による同時多発テロが起きて、犠牲者が200人以上、という事件が・・・。

ずい分前に、一度訪れただけの街ではあるけれど、街並みや出会った人たちのことを思い出すと、胸が痛みます。

もう16年前の話・・・。私が結婚式を挙げたのはボンベイではなくデリーでしたが、ボンベイからデリーに移動してすぐ、結婚式の直前にやはり宗教がらみで暴動が起きてしまいました。直接被害を受けることはなかったけれど、デリーの市街地全域に外出禁止令が出て、ホテルに戻れなくなってしまったので、仕方なくインド人の友人の家に泊めてもらうはめに・・・。翌日には夜間のみの禁止令に変わったので、結婚式は無事に終えることができたのだけれど、その夜、ホテルに戻るときには、街は人影がまったくなく閑散として、ところどころに銃を持った兵士が立ち、物々しい雰囲気に圧倒されて、背筋がひやりと冷たくなったことを思い出しました。

日本は、平和です。そりゃ景気がどうとか総理がどうとか、いろいろあるけど、でも平和に暮らしていける国・・・。だからせめて、自分ができること、今、身の回りでできることを、精一杯やるしかないんだよね・・・。なんてことを改めてしみじみと思ったりしたのでした。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

さて。明日(日付はきょう)は小学校バンドフェスティバルです。小指骨折娘はなんとかステージに上がることになりました。左手の小指を使わずに吹くワザを開発したそうです。(本人談) 要はごまかせる手法をみつけた、ってことでしょう。(笑)これもバンドという大勢の中だからできること。小学校最後のバンドフェス。まぁ無理せず頑張って欲しいと思います。

2008年9月12日 (金)

旅の思い出~インド編その1~

いざインドの旅について書こうと思うと、いったい何から書き出したらいいのだろうと、数日考えてしまいました。 私がインドを訪れたのは1992年の秋・・16年前です。そのたった一回の、しかもわずか1ヶ月半ほどの旅だけでインドを語れるわけもなく、友人の中には半年、一年旅した人も数人・・・。だけどさすがに、インドに行ったら成り行きで結婚式を挙げてしまった、というノーテンキはそうたくさん居ないだろうと思うので、(笑)そんなお話をしてみます。

Photo

上の写真はナシックのガートです。ナシックはインド西部マハラシュトラ州にあるヒンドゥー教の七大聖地のひとつ。有名なクンブ・メラの祭りが開催される場所でもありますが、バラナシよりも比較的庶民的なこじんまりしたガートです。ここにはひとりで行きました。

ここに着く前、私は東京で一緒に暮らしていた彼とともに南インドを回るツアーに参加していました。ツアーを終えたらそのまま帰国せずに、おたがいインド国内の別々な場所に2週間のひとり旅をして、その後デリーで合流する予定でした。 

その南インドのツアーガイドをしてくれたSさんが、「あなたたちふたりは一緒に暮らしているのにどうして結婚しない?」とインド人らしい率直な疑問を投げかけてきたことから始まり、日本に居るときには「まぁそのうちね」とか「たぶんいずれは・・・」で済んでいたその答えが全く通用せず、「いずれするなら今すればいい」というインド人哲学(?)に押されるうちに「それもアリか?」ということになり、あれよあれよという間にデリーで結婚式を挙げることになってしまったのでありました。

デリー在住のSさんが現地で結婚式をコーディネートして待っていてくれるというので、私は予定通りひとり旅を決行。ボンベイ(今はムンバイ)からひとり列車に乗り込み、以前から行きたかった聖地ナシックに向かったのでした。

A

写真はガートで出会った愛する子供たち。彼らに会うために、毎日ガートに通いました。この写真から16年という月日が経っている・・・ということは、今のこの子たちはすっかり大人になっているんだなぁ・・・。ここで見知らぬ子供たちと過した数日間が、ひとりで歩いた旅の、一番の思い出です。

というわけでこのシリーズはまだまだ続く・・・

2007年9月13日 (木)

コンクールの思い出

きのう12日は、アメリカのニューヨークでは11日、言うまでもなく9・11同時多発テロからちょうど6年の月日が経ち、少なくとも朝のテレビはこの話題でした。ところが午後には安倍総理が突然の辞任とのニュースで各局おおわらわ。9・11はすっかり吹き飛んでしまいましたね。

NY同時多発テロからもう6年が経つ、というのも感慨深く、あのニュースを知ったときのショックは今も忘れられません。

しかし安倍総理が昭和29年生まれで、えっ?! 私と4つしか違わないの?  同年代は松任谷由美、石田純一、と聞くと、ずい分若い総理大臣だったんだなぁと、改めて驚いた次第です。 海千山千のおじぃ達からはぶちぶち言われ、年下のコイズミチルドレンからも突き上げられ、きっと心労が重なったのでしょう。どの議員さんも「有り得ないことだ」とか「信じられない。無責任だ。」とか言ってるけど、責める暇があったらどんどん次のことに取り掛かってくれなきゃ。ただでさえ安部内閣は問題ばっかりで・・・   (^O^) あ、これ以上はやめとこっと。

で。下の写真はそんな話とはまったく無関係な、先日の地区体育祭の応援合戦の写真です。大塚愛のピーチ。Chikusai (^O^)  

ところで、11日のブログにlennyさんからコメント頂いて、そうそうそういえば、と思い出したことがあります。 かれこれ20年くらい前に、私も「全日本古楽コンクール」というものにエントリーしたことがありました。

最近、ドラマ『のだめカンタービレ』のロケに校舎が使われて有名になったらしい(?)と聞きましたが、 とある音大の短期大学部の音楽教育科を中退して数年が経ち、20代も後半だというのに何者にもなれない自分に空回りしていた時期です。 とにかく何か目標を立てないと前に進めないような気がして、コンクール出場を決めたのでした。ブロックフレーテソロ部門での出場。チェンバロの相棒と一緒に山梨まで行きました。 (ブロックフレーテ=ドイツ語/バロックリコーダーの正式名称)  結果はどの賞にも引っかかることなく惨憺たるものでしたが、そのことよりも、コンクールが終わった直後、ある方から、

「あなたのような、感情がこめられたリコーダーを聴いたのは初めてです。・・・でも、あなたのリコーダーはバロックじゃないね。」

・・・と言われました。これがショックで。  自分では完全に「バロック音楽」を学んできて、「バロック音楽」を演奏しているつもりだったので。 入賞できないことは覚悟していたし、それよりも出場できたことで多少なりとも達成感を感じていたのですが、その言葉にガツンとやられ、意気消沈して東京に帰ることになりました。

でもその言葉を頂いたおかげで自分が音楽で何を表現したいのか、ということを初めて考えました。 もしバロックが感情を入れてはいけないものだとすると、私には向いてないのかもしれない。(笑) だからその枠を飛び出して、バンドの中でリコーダーを吹いたり、お芝居の中で即興演奏、などということに挑戦していくことになったのだと思います。

だから今はその言葉の意味も理解できるし、言ってくださった方に感謝しているのですが。それがいったい誰だったのか、声と言葉だけはしっかり記憶されているのに・・・実は顔も名前も、まっっったく覚えていないのでありました。(笑) 

2007年8月22日 (水)

懐かしの箱型水冷式クーラー

★LIVE INFOにJIN Acoustic Blue 9/22(土)を追加しました。(O★PASTAギターボーカルのJINちゃんのソロライブです。)

★グルーポ・アンデネスのライブ情報8/26(日)をBBSに。毎年十里木で共演する南米フォルクローレのバンドです。

まきちゃんは無事、富士山から下山しました。山頂ではなんと、美しい虹と御来光を見たそうです。頑張ったご褒美ですね。

ここ数日は、家の仕事をしながら、今まで出来なかったメールの返信や、写真データの発送、譜面の整理などをしています。コンサートを前にすると常に頭の中でメロディが鳴るので、他のことがおろそかになってしまいます。これではいけないと思いつつ、なかなか器用にできません。今ごろになって、やり残していることを片付けています。(泣)

しかし、あぢーですね。今日は特に・・・。今年の暑さは尋常じゃありませんが、地球温暖化が進むと毎年暑さがさらに加速していくことになるのでしょうか。温暖化が気になるのでエアコンはなるべく使わないようにしよう、なんて思っていても、こう暑いと使わなければいられない・・・悪循環です。

私は東京タワーが出来た昭和33年の生まれなので、子供の頃にはもちろんエアコンなんてありませんでした。2~3歳の頃にはビニールプールなんてしゃれたものはなく、大きなタライの中で裸で水遊びをしている写真が残っています。 その頃、家は紙の原料を選別する仕事をしていて、住み込みで働いているお兄さんたちもいたので、小さいながら「食堂」というものがあり、そこに初めて導入されたのが「水冷式クーラー」というものでした。大きさは今の大型冷蔵庫くらい。

スイッチを入れるとガガーッとものすごい音がして、風が出て来るのですが、なんてことはない、つまりは巨大扇風機で、その箱の中にパイプが通っていて、水道の水が常に流れているというだけの機械でした。その(当時では)画期的な家電製品の前を独占するのは至難の業で、大人が誰もいないときを見計らって、弟とふたりで箱の前面に張り付いて至福の風を味わっていたのを覚えています。(^O^)

水道の蛇口から常に水を出しっぱなしにする、なんて今では考えられませんね。メーターが上がってしまうから。そう思うとなんて贅沢な機械だったのだろう。 その頃は、どんなに使っても水道代は一律でした。だからその水冷式のクーラーのパイプを通った水はもちろん外に流しっぱなしで、タライに浮いたスイカが、その蛇口の下でくるくる回っていましたっけ。

私にとってはとても懐かしい夏の風物詩。そういえば最近風鈴の音、聴いてないなぁ。

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