奥行き
きょうから娘の学校が始まりました。 終わった~!夏休み~!
(^O^) 長い休みが終わって学校が始まるとほっとします。
中学生(娘)の夏休みは部活から始まって、毎日宿題宿題の日々でした。 なんでこんなにたくさん?と思うほど宿題が出ていて・・・ 休み当初からけっこう頑張ってやっていたと思うのだけど、それでも間に合わないかもしれないと言って、結局最終日のきのうは、後回しにしていた絵画とポスターを遅くまで描いてました。こんなに宿題が多いのは、ゆとり教育の見直しで、範囲がまた広がるから? 娘は今年の夏、一度もプールに行くこともなく、学校の宿題、塾、さらに塾の宿題にも追われて遊びにも行かず、ときどき友達と電話やメールでやりとりしているのを聞いたら、「(友達)みんな宿題間に合わないかも、って言ってる・・・」と・・・。2年3年と受験が近づくともっと大変になるのに、せめて1年生の夏くらい遊ぶ時間を作ってあげたかった。
ゆとり教育っていったいなんだったのだろう? と、その制度の真っ只中で子供を育てて来た親たちは憤っておりますよ。 いやほんとに。 子供たちも先生も親も、すっかり振り回された感があります。そして一番その犠牲になったのは子供たち。
私が小学生の頃は、もちろん土曜日も授業がありました。 ある土曜日にはおっきな「画板(がばん)」を肩から下げて校庭に出たり、浜辺まで行ったりして写生をしました。 今の小学生は「画板」なんて持っていません。外に出てゆっくり時間をかけて「写生」する余裕がないから、画板なんて必要ない? そういう授業こそ、ほんとは「ゆとり教育」と呼ぶのじゃないの?と思うのだけど。
小学校のときに写生をしたことがないから、中学生は風景が描けない。上手いヘタのことではなく、距離感、奥行き、遠近感、を表現できない・・・ 遠近法という知識はちゃんと持っているのにね。そのかわり(マンガやキャラクター的な)平面的な絵はほんとに器用に描きます。
いやつまり風景画が描ける描けないの話ではなく、(笑)
どんなことにも、どんなものにも、「奥行き」ってものがあって。それは風景だけじゃなくて人間関係だって音楽だってひとりひとりの生き方だって同じ。 平面的にしか物事を捉えられないと、良いか悪いかだけに流される。薄っぺらなものに騙される・・・。どちらが良いかといつも迷う人生だったり、 悪いものをただ非難するだけだったり。 人の奥行きを感じられなければ、その人のことを理解することはできないし、自分の奥行きを隠してしまうと、理解を得ることは難しい。 音楽で言えば、ただ音符を正しく追うだけの演奏が何も伝わらないのと同じ。
じゃぁ人の「奥行き」とは何かというと、私はひとえに「経験・体験」に基づくものだと思うのであります。体験がなければ、感じ取ることもできないし、学ぶこともできない。そして知恵も浮かばない。体験がなければ想像力だって養えない。 自分を見失わないためには、奥行きを知ることなんじゃないだろうか・・・。
なんて・・・そんなことをつらつらと思いながら、娘が頑張っている姿を見守っていた母です。(笑)ちょうどテレビではイモトが走り、選挙速報が流れていた頃。
大きくブレた日本の政治。新しい政権にかわったら、奥行きのある政治に変わって欲しいものでございます。
「日記・コラム・つぶやき2009」カテゴリの記事
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おはようございます。何とも奥深い話で、読んでて気が引き締められるような感覚でした。
他人の奥行きを理解する力が、どの程度あるのか不安です。みんなオカリナ吹いてくれた方が、どんな人か早く理解できるように思ったり(笑)
僕も土曜日の半日授業は、ゆとりを感じる時間だったと思っています。今でも復活させてもいいのではと思っています。先生方だって、返ってその方が毎晩遅くまで校舎で残業しなくてすむのではないでしょうか…。
仲間と午後何しようかわくわくできた土曜の午前は、貴重な特別な日でした。
投稿: 遠士朗 | 2009年9月 1日 (火) 06時06分
そう。先生方も忙しくて、
個人情報流出云々のために
資料を家に持って帰ることを禁じられているので
毎日遅くまで学校で仕事しているそうです。
教えるほうにゆとりがないのに
ゆとり教育なんてできるはずがないよねぇ。
音楽は不思議で、
音に人柄がそのまま表れますよね。
バレバレです。(笑)
息を使う笛や、人の声(歌)など特に。
だから隠す必要もなくなるわけです。
音楽が教えてくれることは多いですねぇ~。(^O^)/
投稿: yutsu | 2009年9月 1日 (火) 20時48分