『道で見知らぬ人と袖がちょっと触れ合うようなささいなできごとでも、それは単なる偶然ではなくてすべて前世からの因縁によるもの。だから、どんなささやかな出会いもたいせつにせよということ。「他生」は前世からの因縁の意で、「多生」とも書く。また、「袖擦り合うも他生の縁」「袖触れ合うも他生の縁」などとも言う。』←仏教に関する言葉を含む故事・ことわざより
人との出会いは不思議です。 50年近く生きていると、ご縁のある人とはどう転んでも出会ってしまうらしい・・・としか思えない事実にいくつか遭遇します。
先日の本葬で、またひとつ不思議な『偶然』に驚きました。
コカリナ製作者のNさんご夫妻と出会ったのは3年ほど前。これもまた希な繋がりで出会えたのでしたがそれについてはいずれ書くことにして、 今回のお話はそのNさんのお友達のkentさん。このブログにもときどきコメントを書き込んでくれています。 たまたまNさんと一緒に私のライブに来てくださったのがお付き合いの始まりで、毎年十里木のコンサートには欠かさず来てくれていて、 器用で、さらに気さくな方なので、毎年ビデオの撮影係をお願いしたり、撮ったビデオをDVDに落とす作業もおまかせしてしまう、という十里木には欠かせない黒子的影のスタッフでもあります。
で、そのkentさんが母の本葬に来てくれたとき、「驚愕ですよぉ~!!」と目を丸くしていました。 なぜかと言えば、私と知り合うずっと前から私の弟夫婦を知っていた・・・・。つまり私の母の葬儀に行ったらよく知ってる人が古庄と同じ遺族の席に座っていた、というわけです。あはは(^O^)
私はもちろん弟がkentさんに大変お世話になっていたことなど知らず、弟も姉が現在お世話になっていることなど知りませんでした。
私の弟は、東京方面でヒップホップ系ダンスの振り付けやレッスンプロの仕事をしています。12~3年前こちら(富士)に2年ほど住んでいたことがあって、父の仕事を手伝いながらスポーツクラブのインストラクターをしておりました。彼はkentさんご夫妻とその頃に知り合い、エアロビクスの大会出場の際には専属整体トレーナーとして東京まで同行してもらっていたそうです。家にも何度も来てもらってマッサージしてもらっていたとか・・。 弟夫妻はその後東京に住居を移してまたむこうで仕事をするようになったので、それ以来すっかりご無沙汰していたとのこと。
そんなことは知る由もなく、それから間もなく弟と入れ替わるように東京からこちらに帰ってきた姉の私・・・(笑) 現在は弟が住んでいた部屋で暮らしていますが、kentさんも、まさかこの笛吹きねーさんが、自分が何度も整体に行ったことがある家で現在暮らしている住人とも知らず、私は私で、kentさんがまさか整体トレーナーだったなんてことさえ知らず、 ふつうに知り合い3年が経ち・・・という経緯。
しかし、知らぬまま姉弟ともがお世話になるご縁とはいったい・・・?
ちなみに。以前も何かで書いた気がしますが、富士市の人口は24万人。袖振り合うも他生の縁、とするならば、姉弟とも知らずしてお世話になるのはもっと強力な他生の縁に違いない。(笑)
そしてもうひとつ。合縁奇縁 (あいえんきえん)
『人と人との気心が合う合わないということは、すべてこの世の中の不思議な因縁(いんねん)によるということ。
「縁」は巡り合わせの意で、「合縁」は気心の合う縁、「奇縁」は奇(く)しき縁の意。なお「相縁奇縁」とも書く。』 ←仏教に関する言葉を含む故事・ことわざより
毎年十里木のコンサートを開催してくださる川崎在住のT夫妻は妙に私の両親と共通点があって。 まずTパパのと私の父の誕生日が同じ7月24日。血液型も同じA型。「性格も似てたりして?うんうん確かにせっかちなとこは似てる。」な~んて話題で盛り上がったことがあります。さらにTママと母の血液型もOで一緒。 こういうの似たもの夫婦?じゃなくて。類似夫婦とでも言いますか・・・。 これでTママと母の誕生日が同じだったらすごい。(笑) でもさすがにそこは違いました。
でも、母が亡くなってTママが本当に驚いていたのですが、母が亡くなった日が、Tママの誕生日・・・だったのでした。
さてこういう話はなんというか・・・当事者以外の人にとっては「だからどーした?」という話でもあります。ただの偶然と言ってしまえばどこまでも偶然。 でもやっぱり人との出会いは不思議に満ちています。といってその意味をいくら考えても答えが出るようなものでもありません。
でもこういうことに遭遇する度に思います。
一生のうちに出会える人はどんなご縁も宝。大切にしましょう。
・・・あは(^O^)坊主の説教みたいになっちゃった。
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