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2007年12月31日 (月)

強風の大晦日

今年も残すところあと数時間となりました。みなさまどんな大晦日をお過ごしでしょうか?我が家は例年とちょっと違う大晦日。 母が以前作っていた正月料理の味を再現するべく、孤軍奮闘しております。

今年はHPを開設してこのブログを始めたことと、なんといっても母を送ったことが2つの大きい出来事でした。泣いて笑って笑って泣いて、生と死をみつめた充実の一年でございました。

私のつたない文章と、ともに泣いたり怒ったり笑ったり祈ったり励ましたり・・・してくださったみなさま。どうもありがとうございました。

来年は、母への感謝の気持ちを持って、心こめたいい演奏ができるように頑張りたいと思っています。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

みなさま。よいお年をお迎えください。(^O^)/ All my relations 

2007年12月29日 (土)

袖振り合うも他生の縁

『道で見知らぬ人と袖がちょっと触れ合うようなささいなできごとでも、それは単なる偶然ではなくてすべて前世からの因縁によるもの。だから、どんなささやかな出会いもたいせつにせよということ。「他生」は前世からの因縁の意で、「多生」とも書く。また、「袖擦り合うも他生の縁」「袖触れ合うも他生の縁」などとも言う。』←仏教に関する言葉を含む故事・ことわざより

人との出会いは不思議です。 50年近く生きていると、ご縁のある人とはどう転んでも出会ってしまうらしい・・・としか思えない事実にいくつか遭遇します。

先日の本葬で、またひとつ不思議な『偶然』に驚きました。

コカリナ製作者のNさんご夫妻と出会ったのは3年ほど前。これもまた希な繋がりで出会えたのでしたがそれについてはいずれ書くことにして、 今回のお話はそのNさんのお友達のkentさん。このブログにもときどきコメントを書き込んでくれています。 たまたまNさんと一緒に私のライブに来てくださったのがお付き合いの始まりで、毎年十里木のコンサートには欠かさず来てくれていて、 器用で、さらに気さくな方なので、毎年ビデオの撮影係をお願いしたり、撮ったビデオをDVDに落とす作業もおまかせしてしまう、という十里木には欠かせない黒子的影のスタッフでもあります。

で、そのkentさんが母の本葬に来てくれたとき、「驚愕ですよぉ~!!」と目を丸くしていました。 なぜかと言えば、私と知り合うずっと前から私の弟夫婦を知っていた・・・・。つまり私の母の葬儀に行ったらよく知ってる人が古庄と同じ遺族の席に座っていた、というわけです。あはは(^O^)

私はもちろん弟がkentさんに大変お世話になっていたことなど知らず、弟も姉が現在お世話になっていることなど知りませんでした。

私の弟は、東京方面でヒップホップ系ダンスの振り付けやレッスンプロの仕事をしています。12~3年前こちら(富士)に2年ほど住んでいたことがあって、父の仕事を手伝いながらスポーツクラブのインストラクターをしておりました。彼はkentさんご夫妻とその頃に知り合い、エアロビクスの大会出場の際には専属整体トレーナーとして東京まで同行してもらっていたそうです。家にも何度も来てもらってマッサージしてもらっていたとか・・。 弟夫妻はその後東京に住居を移してまたむこうで仕事をするようになったので、それ以来すっかりご無沙汰していたとのこと。

そんなことは知る由もなく、それから間もなく弟と入れ替わるように東京からこちらに帰ってきた姉の私・・・(笑) 現在は弟が住んでいた部屋で暮らしていますが、kentさんも、まさかこの笛吹きねーさんが、自分が何度も整体に行ったことがある家で現在暮らしている住人とも知らず、私は私で、kentさんがまさか整体トレーナーだったなんてことさえ知らず、 ふつうに知り合い3年が経ち・・・という経緯。

しかし、知らぬまま姉弟ともがお世話になるご縁とはいったい・・・?

ちなみに。以前も何かで書いた気がしますが、富士市の人口は24万人。袖振り合うも他生の縁、とするならば、姉弟とも知らずしてお世話になるのはもっと強力な他生の縁に違いない。(笑)

そしてもうひとつ。合縁奇縁 (あいえんきえん)

『人と人との気心が合う合わないということは、すべてこの世の中の不思議な因縁(いんねん)によるということ。
「縁」は巡り合わせの意で、「合縁」は気心の合う縁、「奇縁」は奇(く)しき縁の意。なお「相縁奇縁」とも書く。』 ←仏教に関する言葉を含む故事・ことわざより

毎年十里木のコンサートを開催してくださる川崎在住のT夫妻は妙に私の両親と共通点があって。 まずTパパのと私の父の誕生日が同じ7月24日。血液型も同じA型。「性格も似てたりして?うんうん確かにせっかちなとこは似てる。」な~んて話題で盛り上がったことがあります。さらにTママと母の血液型もOで一緒。 こういうの似たもの夫婦?じゃなくて。類似夫婦とでも言いますか・・・。 これでTママと母の誕生日が同じだったらすごい。(笑) でもさすがにそこは違いました。

でも、母が亡くなってTママが本当に驚いていたのですが、母が亡くなった日が、Tママの誕生日・・・だったのでした。

さてこういう話はなんというか・・・当事者以外の人にとっては「だからどーした?」という話でもあります。ただの偶然と言ってしまえばどこまでも偶然。 でもやっぱり人との出会いは不思議に満ちています。といってその意味をいくら考えても答えが出るようなものでもありません。

でもこういうことに遭遇する度に思います。

一生のうちに出会える人はどんなご縁も宝。大切にしましょう。

・・・あは(^O^)坊主の説教みたいになっちゃった。

2007年12月25日 (火)

Merry Christmas !

以前遠くの友人から届いた喪中の葉書の隅に、「うちは喪中ですが、お宅から届く年賀状は毎年楽しみにしているので、今年も絶対送ってね」と書いてあって、「なんじゃそりゃ?」・・・なんてことがありましたが、

12月に亡くなった母の四十九日は当然年を越して1月中になるので、今年の年末年始は喪中になった我が家です。毎年お正月には欠かさなかったお飾りや鏡餅などなど、(もちろん年賀状も)お正月準備がないので気が抜けた感じがします。

新年の挨拶は無し、というのはわかるけど、でも事務所の神棚のしめ縄くらいは代えていいのかな?・・おせち料理は?お雑煮は?・・・ そもそも正しい喪中とは? と疑問に思ってちょっと調べてみたら、神道では亡くなって50日間は祝い事をしない、となっているそうですが、仏教の浄土真宗には喪中の概念がないとか、禅宗でも四十九日は忌中としても、けして年賀状のやりとりを禁止しているわけではなく、 地方によっては喪中でもお正月をいつも通りに祝うことで故人が喜ぶ、とするところもあるそうです。明治時代には喪に服す期間も法令で定められていたそうですが、今はそんなこともなく、それぞれの地方の風習にまかされていると・・・。

悲しみが深ければ当然祝い事をする気持ちにはならないわけで、悲しみに暮れる遺族に向けてお祝いの言葉は遠慮したほうがいいでしょう・・・という、「マナー」としてとらえれば解り易い。 逆に言えば、どんなに深い悲しみに暮れていても、このくらいの期間が過ぎたら元気を出して日常を取り戻していきましょう、という時間でもあるとのこと。

なるほどねぇ・・・。喪中とはけして決まりごとではなく、お互いの思いやりから生まれたマナーなのですね。

そういえばこのところ、「よいお年を」と言ってから、「あ、喪中だったのにごめんなさい」と謝られたりすることが多くて、これもまた妙な感じで。・・それくらいはねぇ。だって喪中でも来年はいい年にしたいことに変わりはないし。(笑)

母とはちゃんと時間をもらってお別れができたので、家族に思い残すことはなく、もちろん「居ない」ことは寂しいけれど、けして悲しみに暮れているわけではないので、たとえお正月に誰かから明けましておめでとう、と言われてもきっとムッとしたりはしないと思います。(笑)

で。今日はクリスマスというわけですが、昨日のイブはちょうど三七日(みなのか)に当たり、僧侶の大ちゃんがお経をあげにきてくれたので、「お経とお線香のイブ」になりました。ちょうど東京から古くからの友人ふたりがお線香をあげに来てくれていたので、参加人員が増えて母は喜んでいたと思います。 夜遅くなって、娘と一番小さなサイズのクリスマスケーキでささやかにイブを・・・。

ところで。本葬のときに気合の入った「喝!!」で参列者を驚かせた若い僧侶の大ちゃん。実は無類のネコ好きで、お寺には体重9キロもあるオスを筆頭に4匹のネコがいて、本堂を駆け回り、ほとんどネコ寺のようになっています。ただ今独身。お嫁さん募集中。第一条件は「ネコ好きな人」だって。(笑)  我が家に来ると必ず母屋のデブネコかーにゃんを抱きたくて追い回します。 黒い袈裟がネコの毛だらけになってしまうのだけど、払いもせずにかまわずそのままニコニコで帰ります。密葬のときも、猫を抱いて神妙な顔で「この子にも最後のお別れをさせてあげてください」って言ってたし。(笑) お坊さんが笑わせてくれるというのはなかなかいいものです。

同じく猫好きだった母は、大ちゃんのお経を笑顔で聞いているような気がします。もしかしたら猫が繋げてくれたご縁なのかもしれません。

2007年12月22日 (土)

がんばれ娘!

★久しぶりに『ライブINFO』更新しました。1/26(土)~spaghetti solo live~★

冷たい雨が降っています。こちら富士山の表側は雨ですが、向こう側の河口湖では雪が降っているそうです。あと2日でクリスマスだなんて。ツリーの飾りつけも、プレゼントのことも、すっかり頭から消えてました。

先日腹痛と貧血で具合が悪くなり、疲れが出たかと病院に行ってみたら、前から抱えていた筋腫の手術を、「なるべく早くしたほうがいいでしょう」by主治医、・・・ということになって、年明け早々の手術が決まってしまいました。 ま、それはいいんですが。

そーいうことになりましたと何人かに連絡したら、「えっ、ゆいちゃん大丈夫なの?」と、誰もが真っ先に娘の心配をしてくれて。・・・・だれもあたしのシンパイをしてくれないっつの!(泣)

でも確かに私が入院したときの一番の問題はそこ。 娘は、ぉじいちゃんと二人きりの生活を強いられるわけですから。 娘本人も、「えーっ、お母さん入院するの?やだなー」と。私が居なくなる数日間(たぶん一週間くらい)のことをいろいろ心配し始めました。「洗濯はどーするの?誰がご飯作るの?シェルちゃん(ネコ)のお世話は私がするの?」 「うん、それはひとつずつ対策を練ってみようよ。」・・・小5の娘にとってこれは成長するチャンスでもあります。いろんな人の助けも借りつつ、でもできることは精一杯自分でチャレンジしてみて欲しい・・・。

私・・「でもさ、いきなりお父さんに解散と言われて公園で暮らさなきゃならなくなった中学生のことを考えたらずっとマシだと思わない?」

娘・・「あたしは麒麟のタムラじゃなーい!!」

父・・「そーだな、おかーさん居ないと公園の草とってきて食うしかないかもなぁ・・」

娘・・「やだぁ!!あたしはタムラじゃないってば!!」

以前ならこういうとき、おばぁちゃんのフォローが入るところ。残念ながらフォローも入らず、 しばらくの間、私と父が自分をからかうことにぶーぶー文句を言っていた娘でしたが、今日あたりから急に「あたしがやるっ!」と自分から進んでお風呂掃除を始めたり、夕飯の支度を手伝ったり、彼女の中で何かがカチッとシフトしたように見えます。

おばぁちゃんが亡くなったこと・・・。私の入院・・・。 年が明けると初めての「年女」になるねずみ年生まれの娘にも、ちゃんと乗り越える力があることを信じて、私も自分の治療に専念しようと思います。

2007年12月18日 (火)

矢のように日が過ぎて・・

Ap1010041 一週間以上、ブログをお休みしてしまいました。 チェックしていてくださったみなさまごめんなさい。

先週、無事に母の本葬を終えることができました。 演奏してくださった下山さん、スパちゃん、じんちゃん、そしてアンデネスのみなさま、本当にありがとうございました。そして参列してくださった方に心から感謝を申し上げます。 忘れることのできない日になりました。 

密葬から本葬まで日が離れていたこともあって、その間毎朝葬儀社の方がやってきて打ち合わせをしました。あとでよく考えたら電話で済むようなことだったような気もしますが、(笑) 葬儀社のAさんは13年間葬儀の仕事をしてきて、こういう形の「音楽葬」をプロデュースするのは初めてとのことで、ずい分と力を尽くしてくださいました。僧侶のだいちゃんは友人の息子さんで、音楽葬をするために葬儀(お経と説教の部分)を短縮して欲しい、なんていう無礼な我がままを快く受け入れてくれました。 母が望んでいた、音楽での告別式を実現させることができたのは、本当にたくさんの方々のおかげです。

そして。そんなたくさんの方に見送られて、母はアンデネスさんの「コンドルは飛んでいく」で羽ばたいて行きました。井上さんのケーナは本当に空に突き抜けていくようでした。

088 090 今、我が家には葬儀のときに使った生花があちこちに飾ってあります。 娘が学校から帰ってきて玄関に入ったとたん、「おかぁさん、うちがカリヤザキの家みたいになってるよ」と。(笑)

このたくさんの花が枯れる頃には年が明けて、新しい時間を重ねていくごとに今の思いもきっと変化していくのでしょうね。 

さぁ来年は気持ちを新たに、頑張っていきます。

2007年12月 8日 (土)

エル・コンドル・パサ

5日にお通夜と6日に密葬・火葬を終えて、少しほっとした夜を過しています。たくさんの方から、「ゆっちゃん大丈夫?」とご心配頂いておりますが、今はバタバタした毎日なのでちょっと疲れているような気もしていますが、とりあえず大丈夫。 家族でいろんなことを思い出しては泣き、可笑しいことがあればゲラゲラと笑い、食欲減退することもなく、(笑)それなりの日々。

親を送ることは、多くのだれもが通る道です。 若いときに親を亡くした友人の気持ちや、家で看取った友人の気持ち、親を突然亡くした友人の気持ち・・・ 自分がその立場になってみて、初めてわかる多くの現実・・・。

最後に看取ったのは父ひとりでしたが、母はその瞬間まで肩を上げて必死に呼吸していました。逝ったあとはとても穏やかで安らかな顔でした。 母は亡くなる少し前まで食べることができたので、最後の苦しい時を越えてもやつれることなく、とてもきれいでした。

亡くなる2ヶ月か・・3ヶ月ほど前のある日、母が突然、「私、『コンドルは飛んでいく』という曲が一番好き」と言いました。 コンドル・・が一番なの?と、少し意外に思って聞き返すと、きっぱりと、「そう。一番好きな曲」と言うのでした。・・・ふぅん、美空ひばりとか越路吹雪だと思ってた・・・。

「そう。できれば私のお葬式に、コンドルの曲を演奏してもらいたい・・・コンドルみたいに、羽ばたいていければいいなと思って・・・」 

・・・私は返す言葉がありませんでした。

「でも、お葬式で、井上さん(アンデネスのケーナ担当)たちに、赤いポンチョ着て演奏してもらったらおかしいかしら・・」などと言って、母は楽しそうにケラケラと笑って、それから泣いていました。

「あなたのオリジナルの曲も好きよ。コンドルか、あなたの曲か・・・」 (笑)いいよ。さっきコンドルが一番って言ってたじゃない。お母さんが望むなら私はなんでもするよ。井上さんができなかったら私がコンドルを吹く。 ・・・そう言いながら私も涙が止まりませんでした。

「あなたは無理よ。きっと泣いちゃって、吹けるわけないわよ」

そのとき父は、少し離れた場所で寝転がっていて、背中でその会話を聞きながら、「まったく、くだらないこと話やがって・・」と、少し腹を立てていたそうです。

ところが、母が危篤になったとき、母の希望を叶えたいと言い出したのは父でした。

母が望んでいた葬儀をするために、父がまずしたことは、井上さんに演奏してもらえる日を葬儀の日に設定することでした。 おかしな話ですが、私は危篤の母の病室から、井上さんに電話をしました。 これも不思議なご縁としか言いようがないのですが、井上さんの職場は母が入院している病院の隣りのビルで、母の病室からよく見えるのです。

井上さんの快諾を頂いて、12月15日の本葬の日程が決まりました。 翌日の早朝、母は息をひきとりました。

母の言葉通り、アンデネスさんによる「コンドルは飛んでゆく」で見送ります。来夏の十里木のコンサートを何より楽しみにしていた母に、小さな十里木のコンサートを。

たくさんの感謝をこめて。

2007年12月 5日 (水)

12月4日午前6時、母が亡くなりました。

病気と闘いぬいた戦士のような凛々しさを秘めながら、

今とても穏やかな顔つきで眠っています。

心配してくださったみなさま、励ましてくださったみなさま、

母のために祈ってくださったみなさま、

本当にありがとうございました。

落ち着いた日々を迎えるには少し時間がかかりそうですが、

急がず少しずつ、

今日までを振り返りながら、前に進んでいこうと思っています。

母と、家族と、そしてみんなに 感謝をこめて。

2007年11月29日 (木)

いつか書ける日がきたら。

何か書こうと思っても、時間がないこともあるけれど、メールやブログを「書く」というモードになかなか切り替えられません。 この数日のことを、ここに書くにはきっとたくさんの時間がかかると思うので、今は何も書くことができませんが、毎日ブログをチェックしてくださるみなさんに、御心配をおかけしているみなさんに、メールを返信しなければならないみなさんに、ここでせめてお礼を言わなくてはと思って。

★山形のEちゃん、母に最高のラ・フランスと美味しいりんごをありがとう。瑞々しいラフランスが、何度も母を助けてくれました。

★広島(尾道)のMさん、みかんをありがとうございました。看護に疲れた父が「うまいなぁ」と言って食べていました。ほっとする時間でした。

★M小学校K・A先生、励ましのメールをありがとうございました。親不孝者はこうして孝行させられることになってるのだと思います。(^_^;) 先生のメールにたくさん力をもらいました。

*******************************

毎日がすごい経験です。悲しいことが溢れていて。幸せもいっぱい溢れています。

たぶんあとすこし。母が頑張っている限り。私も力を尽くします。

2007年11月22日 (木)

今、話せること・・・。

今日現在話せること・・・。明日は変化しているかもしれませんが・・・。

箱根から帰った翌日、母が呼吸困難を起こして緊急入院してきのう退院。退院の直前に病室で転び、軽い怪我をして騒動に・・・そして今日もまた同じように呼吸が苦しくなって急遽病院へ。家に戻って酸素吸入・・・まるでジェットコースターのような日々でした。いやたぶんこれからもそんな日々が続くでしょう。

今、母の状態は落ち着いていますが、常時酸素の吸入が必要な状態です。

でも母の内臓はなかなか頑丈で、そんな状態でも食欲だけは衰えません。よほど食いしん坊だからでしょう。(笑) 食べられること=体力があるので、そのことはいつも主治医から褒められています。褒められるとけっこう得意げに自慢したりもしています。

同じ「癌」という病気でも、場所により種類により年齢により人により、進行も治療方法も治癒も転移も再発もまったく違ってくるわけですが、 もっと言ってしまえば癌に限らず、生きている人の数だけ人生があるのだから、生を終わらせる道も同じように人それぞれ違って。同じ道はひとつもないのだと母を見ていてつくづく感じます。

ホスピス、緩和ケアについて語られるとき、必ず聞かれる「人間の尊厳」という言葉がありますが、尊厳とは、世界でたったひとりの、その人だけの生き方と命を尊重することに他ならず、それはあくまでも本人が最後までこう生きたい、という意志があってこそのことだと思います。 

告知を受けて、緩和病棟で残りの時間を大切に過すことができる人は、自分の最後の時をここで過すという勇気ある意思と、思慮深さを持ち合わせている一部の幸せな人なのかも知れない。

たとえば家族が残りの時間を緩和ケア病棟で過させてあげたいと思っても、本人の意思がなければ病棟に入ることはできません。  そしてたとえ本人にその意思があっても、緩和病棟の空きを待つ人が大勢いて、待っているうちに時間がなくなる、という人はたくさん居るそうです。 まだ日本国内に緩和ケア病床はわずか3000床しかありません。

実際には告知を現実にとらえられないまま亡くなっていく人も多く、告知や緩和治療が一般的になって、「人間の尊厳」という言葉が聞かれるようになった今も、それはとても難しい問題なのだということがよくわかります。

我が家では、緩和ケア病棟の方向を捨て、最後まで母を家で診ることに決めました。

なぜなら母は、末期である自分の病状を知りながらも、来年の春には友達と小旅行に行くことを楽しみにして、来年の夏には、絶対に十里木のコンサートに行く、と言っています。

今の母にとっては、癌という病気はすでに問題ではなく、ひとつひとつの不快な症状、たとえば頑固な便秘や背中の痛みや呼吸が苦しいことなどが、ひとつづつ緩和されれば、それだけで元気になって笑顔を見せてくれます。残された時間をどう過すかということではなく、あえて病気が良くなることでもなく、ただ、「明日の楽しみ」「来年の楽しみ」を支えに、そういうひとつひとつの小さな希望を支えに、日々を重ねていくことが母の生きる力になっています。

そんな母に残された時間をどこでどう過すかという話は、意味のないことのように思えます。

だからたとえ病院のように手が届かないことがあっても、我が家がどこよりも過しやすい緩和ケア病棟であればいいと・・・。今はそう思っています。 

2007年11月19日 (月)

念願の箱根温泉旅行

めっきり寒くなりました。きのうの強風は木枯らし一号だったようですね。クリスマス商戦とかイルミネーションとか、そんな言葉が聞こえてくる季節になってしまった・・。今年こそはツリーを飾るのがクリスマス前日なんてことにならないようにしなくては。(笑)

さて遡って先週の金曜。 娘の下校を待って箱根にでかけました。家族での温泉旅行は5年?6年ぶり? ちょっと贅沢に露天風呂付の部屋をとりました。 今回の旅行は当然母のための、母中心の一泊旅行だったので、ときにハラハラしながら、大量の薬と車椅子を持っての大移動。とてものんびりという感じではありませんでしたが、母の腕を支えて温泉にも入ることができたし、食事も美味しかったし、芦ノ湖畔でたくさんお土産も買って、とにかく母は念願が叶ったことを何より喜んで、「みんなで来られてよかったね」と何度も繰り返しておりました。

私はデジカメを持っていったのに肝心なスマートメディアをカメラの中に入れるのを忘れるというドジを踏み、父は母の準備に気をとられ自分の荷物を家に置き忘れてしまったり。 泊まった翌日にはどこに寄って帰るかについて車中で言い合いになったり、お定まりのドタバタ珍道中ではありましたが、なんとか無事で楽しい旅行になって、本当に良かったと思っています。

ところで。普段ほとんど家を空けることがないので、母屋に一匹、我が家に一匹いるネコたちが、久しぶりに誰も居なくなった部屋での一夜を、何を思いどう過していたのか(笑)・・・・帰ってみるとテーブルの上がなんと・・・

P1010019 ←こ~んなことになってました。みごとにティッシュの花が咲き乱れてます。暴れん坊シェル嬢のしわざです。キャッツフードも余るほど入れていったのに。 寂しかったり気にいらないことがあるとネコはこんなことをします。(どのネコも、とは限りません)

たった一泊でこんなことになるのだから、2泊、3泊留守にしたらいったい何をしでかしてくれるのだろう?(笑)

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CD 十里木の夏 by FOMAL HAUT

  • 2009年8月発売 十里木の夏 CDについて
    2009年8月発売 FOMAL HAUTの4曲入りCDのご紹介

DVD FOMALHAUT GIFT

  • FOMALHAUTのDVD、GIFTのご紹介
    2012年春発売 FOMALHAUTのDVD、GIFT のご紹介